インタビュー
interview
天山広吉さん (プロレスラー)
白石先生と出会えたのは2009年かな。
その年の秋に、試合で首に脊髄損傷の大ケガを負ちゃった。それに右肩の脱臼もあって無期限欠場を発表した。でまず首を治さなくちゃあ、それには大手術をしなければならないと。正直ガーンですよ、ヤバイでしょ。首の手術なんかやっちゃったら選手生命は完全にアウトだからさ。
実際、レスラー仲間で首の骨折や脊髄損傷で死んじゃったやつとか再起不能になったやつをいっぱい見てきたからね。それにその直前、同じ年の夏にプロ野球の人気選手が首の脊髄損傷で手術して結局引退に追い込まれたのを聞いてたしさ。
おれもコレはヤバイと。引退するしかないかと半ば諦めかけてた。そしたらさ、嫁はんにバーンと殴られちゃってさ。「なに弱気なこと言ってんのよ、なんとかしなさい!」とマジで活を入れられた。
でも嫁はんも不安だったんだろうな。万が一のことを考えると怖かったんだと思う。プロレスラーにケガはつきもの、でも今回ばかりはいつものケガとはワケが違うっていう恐怖…。この恐怖はおれも同じさ。そんなある日、うちの嫁はんが真面目な顔で初めて「もうプロレスにこだわることもないんじゃない?」と言ってくれた。さすがのおれもホロリときたよ。
そうこうしてたら、その時懸かかってた某国立病院の先生が、脊髄手術では世界的権威の白石先生が手術してくれたら救ってくれるかもしれないと紹介してくれたんだ。ワラをも掴む思いですぐに白石先生の市川病院に行って頼み込んだ。「まだおれ引退したくねぇんだ。お願いだ、何とかしてくれないか」。そしたら先生、決断早かったねぇ。「すぐに手術しよう!」って言ってくれたんだよな。まさに天の声だよ。その時おれ、もうこの先生に選手生命も運命もぜんぶ預けようと思った。
即入院して手術したのが9月24日。で2日後の26日にはもう病院内をあちこち歩き回ってたしリハビリもやってた。術後の装身具なんか何も付けずにね。いやぁビックリしたね。そんなに早くベッドから起き出せるなんて夢にも思ってなかったからさ。見舞いにきた同僚や後輩も「ほんとに大手術したの?」って信じられない顔してたよ。
いやぁ嬉しかったね。どっこも痛くないし、これなら完璧に復帰できる!っていう、ものすごい手応えを感じられたからさ。ほんとの話、入院してる間に、近い将来の完全復活を自分自身で確信できたのよ。夢のようだった。
で退院したのいつだと思う? 10月の2日ですよ。手術して8日目だよ、いやほんと、自分でも信じられなかった。 ドクター白石、パーフェクト! 神の手っていうの? マジで神がかったドクターだと思った。
退院したらすぐにトレーニングを始めて、完全復活のリングに上がったのが翌年の秋。その復帰戦で勝利したときにはさすがに泣いちゃったよ、おれ。一時は引退を覚悟したところからの奇跡の復活だからね。号泣だよ、人前も気にせず嬉し涙の大泣きだよ。家に帰ったら嫁はんとまた涙、涙。
以来いままで、首に不安を感じたことがない。だからムーンサルトプレスとかダイビングヘッドバットとかの必殺技をバンバンかけられる。相手の危険な大技も真っ向から受け止められる。
プロレスラーの生命線は、なんといっても首と腰。首と腰に少しでも不安を抱えてたら現役バリバリで一流の看板張ってることなんてできない。
だからさ、白石先生はおれの命の恩人ってわけよ。(談)
天山広吉
1971年京都生まれ。新日本プロレス所属。
アントニオ猪木引退後の新日本プロレスで、
藤波・長州世代〜闘魂三銃士(武藤・蝶野・橋本)世代の跡を継いだ時代を代表するレスラーの1人。
IWGPヘビー級王座に君臨、G1CLIMAXで3度優勝など輝かしい戦歴を誇る。
タッグ戦線では、同世代の小島聡とコンビを組んで最強時代を築き「テンコジ」の愛称で親しまれる。
代表的な必殺技は、ムーンサルトプレス(天山プレス)、アナコンダバイス、
テンザン・ツームストーン・ドライバー(TTD)など。